私の感情的な部分

日記のようなポエムのようなブラックホール

所詮メンヘラ

持ち直したと思った次の瞬間には崩れている。

 

ここ数か月でなしたことといえばゴミの日と親密になったくらいで。

 

義理人情より優先すべきものはあるに決まってるだろ、自分のメンタルより大事なものなんて他にないだろ。

 

日本死ねなんて思わねーよ地球死ねだよ。

 

メンヘラにならずに済んだ全ての人間が妬ましいわ。

つらつらと恨みつらみを書き連ね

夢の国の退場時間が迫っているような気分です。最悪なのは、ここが夢の国ではなく空っぽなワンルームだということ。死んだ目で辿るタイムラインに誰かの愚痴が流れてくると、黒い気持ちを抱えているのは自分だけではないのだという意味で安心します。

 

ところで、iPhoneで【くろいきもち】と打つと一発では変換されません。【暗い気持ち】と【辛い気持ち】に阻まれます。確かに暗くも辛くもありますが、それよりもっとドロドロで汚いのです。暗いには単純さが、辛いには被害者意識が見え隠れしているようで、黒いという形容詞の方が私にはしっくりきます。一度使えば先頭に表示されるあたり素直なので、iPhoneとはうまくやれています。

 

iPhoneは高性能な精密機械なのでしょうが、多くの機能を活用しない私にとってはごくシンプルで使いやすいSNS接続マシンです。ごちゃごちゃしているのは嫌いなんです。引っ越しのトラックに積み込んだダンボールが2、3個紛失しても構わないと思うくらいには。

 

タイトルに反し、今日は恨みつらみを書き連ねる気分ではありません。部屋の中で自分の中だけ見つめていると、外に対して何か思うことが極端に少なくなります。良くも悪くも空っぽというわけです。最近考えたのは、死にたさが消えないのなら、成功とか充足を求めるよりも、自分がいかに生きやすくなるかを行動指針にすればいいのではということです。生きやすくなるためであれば何でも利用するし、その材料として充足を求めていくという生き方です。

 

タイムラインの人は時々戦友のように思っています。いつもじゃないけど。完全に同じではなくて、それが悲しい時もあるけど。少なくとも、同じゲーム盤にいるんだって気はするのです。

嫌い

一日じゅう一人で過ごしているからか、たまに外に出た時の他人の話し声に敏感になった。カップルもお年寄りも、店員も女性グループも、とにかく皆大きな声で話す。それが普通の音量であっても、荒げた声を聞いたかのようにビクッとしてしまう。子供の集団も恐ろしい。カラスの群の方が幾分かましだ。イライラして子供を怒鳴る母親などがいると生きた心地がしない。病院の待合室は至る所で人が騒めいていて精神を壊す系の拷問かと思う。実際かなり精神的にやられる。メディアを通さない声は耳に毒だ。護身用イヤホンで何とか事なきをえるものの、不快感はなかなか治りそうにない。

青と白の均整が取れた記事作成画面すら腹立たしい

性格適性検査のアプリをダウンロードしたんだけど、回答に対して正解・不正解が表示されることに気が遠くなった。×のオンパレード。自分‬が終わってるのか日本が終わってるのか問いかけたくなったけど、この社会は大多数の人にとって問題なく回り続けているから自分が終わってるのが◯なんだろう。

 

今私は自分に絶望している。昔は家庭や学校など周りに絶望していた。辛くはあったけれど今ほどじゃなかった。環境からは逃げられるけど、自分からは決して逃げられない。自分に絶望しているってことは、寝てる時以外ずっと辛いってことだよ。

 

出血多量で死ぬ勇気はないけど流涙多量くらいで死なせてくれないかな、神様

心が睡眠を拒否するんだ

何に悩んでるかってそんなの心の問題に決まってる

悩みを吐露すれば友達は受け止めてくれるんだろうけど

優しさで救われるのならとっくに救われてる

 

努力して抜け出したはずの人がまだ苦しんでいるのを見て気が遠くなりそうだった

精神的に自立しても安らぎが得られるとは限らないなんて

確かなことは頑張り続けることだけじゃないか

 

 

友達と呼べる人にショックを与えないように生きている

生きる以上迷惑かけないよう負担にならないよう困らせないよう壁を作っている

壁というかバリケードに近い

自分の為というよりは相手を守る為だと思っている

でも隠れて泣くこと自体が相手を傷付ける行為になりえるなら八方塞がりだ

 

 

思考停止は悪だ

どうでもいいと投げ出すことは悪だ

人のせいにするのは悪だ

過去を引きずるのは悪だ

変わりたいのに行動しないのは悪だ

辛さをひけらかすのは悪だ

自己否定するのは悪だ

 

これらの言葉はある意味支えになるけれど杖のような優しいものではない

例えるなら十字架だ

倒れたいのに倒れる自分を許せなくなる

社会不適合者

求人見ながら泣いちゃって眠れなくなったからブログ書く

 

 

企業の求める人物像がしんどい。「明るく元気な方」「コミュニケーション能力が高い方」「自分の考えをどんどん発信できる方」「心身共に健康な方」等々ことごとく当てはまらなくて、社会不適合者である現実を突き付けられた。自然界ならとっくに淘汰されていたものがこの日本では底辺ながら生きていけてしまう。それが苦しいと思う瞬間がある。

 

死にたみの中で友達の顔が浮かんで、やっぱり深い関係になるのを控えるべきだったのかもしれないと思った。でももし私が消えることで消えない傷をつけてしまいそうな人は2人しか知らない。私は友達にとって決して無価値ではないのだろうが、それはあくまで「元気な状態」という前提条件があってのことだ。自殺するような奴なら死んでも悲しくない、そう思われてしまう気がした。私がこんな精神状態であることは隠し通そうと思う。

 

 

5月に法事で地元に行くこともしんどい。親がウン千万かけて回した子作りガチャで出てきたのが弱小で御愁傷様。限界はあれど装備で強化することもできただろうに、その余裕がなかった自分を恨んでほしい。親同士の関係も上手く築けないのに子供と良い関係が築けるわけないだろう。

 

たまに外に出ると本当に明るい人間ばかりで驚く。心の中は暗いのだとしても、たえず明るく振舞うことができるなら立派な社会適合者だ。暗い人間が少ないというわけではなく、社会に出てこない人は視認できないから社会適合者ばかりなように映るんだと思う。

 

最も身近なブラックホール、バイト帰りの地下鉄ホーム

自分が人として大事なものが欠落しているのは分かるけどそれが何なのかどうすれば人間になれるのかはずっと分からずにいる

 

進学する度に人間関係が楽になっていったのは自分と合う人としか関わらなくなったというだけで実際昔何も変わっていないんだと思う

 

人間のヒエラルキーはピラミッド型ではなくひし形なんじゃないか

上位から普通まではピラミッドで普通が一番多くその下が逆三角形になっている

石だとしたら下半分は土に埋もれて見えない

 

自殺が苦しみや痛みを伴うのは生きていたら味わうはずだったそれらを全て一気に受けるからなのかな